原爆と科学 〜計算機の倫理〜
どうもhaseです。
今日はサビマネの話をする予定で、記事を書いてました。
でも被爆三世の僕が今日担当になったことに運命を感じざるをえないので、ちょっとだけ真面目に戦争の話をしようかなと。ブログの趣旨からは少しずれてしまうかもしれないけど…計算機に絡めるから許して笑
8:15
さて、広島県民であれば、1945/08/06 08:15という数字はなんの苦もなく出てきます。広島の学校なら毎年嫌という程聞かされる数字だし、僕の祖父のように実際にキノコ雲を見て、黒い雨を浴び、家族を亡くした人が身近にいたりするのです。忘れようがないですね。
広島にいると8/6には、街中になんとなく特殊な悲しみというか連帯感のようなものが流れているのを感じますが、去年今年と東京で過ごしてみると、あまりの何もなさに驚きます。
でも私自身、大事件でも自分に関係なければ日付なんか興味ないし、調べてみようなんて思わないもんなあと妙に納得する今日この頃。まあ、だからこそ逆に書いてみるのもいいのかなと。
ヒロシマ
原爆のことあんまり知らないっていう人もいると思うので、まずはちょっとだけ広島原爆の話をしましょう。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1111637106129/index.html
1945年末までに広島で14万人(長崎で7万人)以上が亡くなったといわれます。当時の広島市の人口が35万人ですから、街の半分の人がたった一発の爆弾によって命を奪われたわけです。"1945年末までに"という表現にも原爆の怖さが現れていて、爆発による一次被害に加え、放射線による二次被害によって亡くなる人が大勢いたということを表しています。
ちなみにフェルミ推定で有名なフェルミさん。死の床においても点滴のしずくが落ちる間隔を測定し、流速を計算していたと言われる人物ですが、彼は広島・長崎に投下された原爆を開発したマンハッタン計画において、中心的な役割を演じた天才物理学者です。かのアインシュタインも原子爆弾の開発を提言する手紙に署名するなど、著名な科学者たちが関わった原爆開発ですが、核分裂という科学者たちの偉大な発見が最初に人類にもたらしたものは、たった一発の爆弾で14万人を殺戮するという人類史上最大の汚点になったわけです。(フェルミ・アインシュタインは後に、原水爆開発に反対する立場をとります。)
原爆と計算機
ここで、マンハッタン計画に多大な貢献をした人物がもう一人います。
情報工学を専攻していた学生で知らない人はいないでしょう。
現在のほとんどのコンピュータの動作原理である「ノイマン型コンピュータ」の開発者です。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者とされています。
ノイマンは「爆縮レンズ」(長崎型原爆の中心となる技術)の開発を担当しますが、当時、コンピュータが実用化に至っていなかったため、開発のための計算をノイマンら計算が得意な数学者らの手によって10ヶ月以上の時間を要して計算されたとのこと。この時の経験がのちのコンピュータ開発の大きな動機の一つになったことは間違いないでしょう。
彼は間違いなく天才でしたが、過激な思想も持ち合わせていたようで、ソ連のスパイだったクラウス・フックスと水素爆弾を共同で開発していたり、日本に対して原爆投下の目標地点を選定する際には「京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっているからこそ殲滅すべき」だとして、京都への投下を進言したそうです。このような側面を持つノイマンは、スタンリー・キューブリックによる映画『博士の異常な愛情』のストレンジラヴ博士のモデルの一人ともされています。(wikipediaより)
計算機と戦争
計算機と戦争との接点をノイマンというコンピュータの生みの親と結びつけましたが、そもそも、一般的に最初のコンピュータと言われるENIACは(どれを最初とするかは諸説あるようです)、砲撃の弾道計算の目的で開発され、 完成後水爆の研究に使われました。
計算機黎明期の研究は砲撃の弾道計算から始まり、敵国の暗号解読、兵器開発に関わる微分方程式の解析などに費やされ、計算機は戦争のために作られたものだと言い切ってしまっても言い過ぎではないでしょう。
戦争と計算機は切っても切れない関係にあるわけです。
シンギュラリティの倫理
2045年にくるというシンギュラリティ。(ちなみにシンギュラリティという言葉を技術発展の文脈で初めて使ったのは、ノイマンさんらしいですよ)
戦争のために作られた計算機が、今では人々の生活を豊かにしています。
でもIoTやらAIやら、今まで以上にITが現実に及ぼす影響力が増していく中で、僕らITに従事する人間たちは、第二のフェルミ・アインシュタイン・ノイマンになる可能性を秘めている、と少し大げさに思うわけです。
フェルミ・アインシュタインが最初に関わっていた段階では、彼らは自分のしていることを正しいと思ってやっていたはず。(実際、ナチスドイツが原爆の開発を進めており、先に完成させるのではないかという危機感があった)
それでも彼らはのちにそれを後悔している。
彼らのような人類史に残る天才にさえ、原爆の開発を止めることはできなかった。
今までは原爆などの兵器を開発することを助ける手段だった計算機。
しかし今では仮想の世界からどんどん飛び出して、現実への影響力を強めています。
そしてシンギュラリティが現実味を帯びていく中で、僕らがほんの一部でも関わったAIがIoTが、サラ・コナーを殺しにいく未来がくるかもしれない。
そう思うと少しだけ気が引き締まる思いです。
科学者の倫理が問われる今日という日に、少しだけちゃんとしようと思ったhaseでした。
8/9 11:02(長崎原爆の投下時間)には少しだけ原爆のことを思い出してもらえると嬉しいです。